10.胚移植の小休止期間-①もしかして卵巣過剰刺激症候群?
2度めの体外受精(採卵→受精)結果は上々ではあったが
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今回の排卵誘発方法(アンタゴニスト法)は排卵誘発剤を多用するため体への負担が大きく、子宮が多少なりと腫れてしまうので、採卵後1・2ヶ月は胚盤胞の移植を待たなければいけなかった。
さらに、卵巣が腫れてお腹に水がたまる卵巣過剰刺激症候群(以下OHSS)に陥る危険性も前回よりも高くなる。
特に私の場合、近隣に不妊治療の専門クリニックが無いことへの不安は大きかった。
なんせここは地方都市。
お産のための産婦人科医さえ不足している中、専門的な不妊治療を提供している医療機関なぞあるはずも無く、お産中心の周辺の産婦人科(数も非常に限られている)で、このような特殊な状況に適切に対処してもらえるか微妙な様子だったのだ。
さらに、採卵でかなり会社を休んでしまっていたので、突発的な治療のためにまた会社を休むことは難しいと感じていた。
前回の、採卵→移植まで行った体外受精の際は体調的に大きな問題は起こらなかったことから、トラブルが発生しないことを祈るしかなかったのだが…
こんな時に限って私の不安は現実のものとなってしまう…。
採卵後3日程経過した頃から、お腹の違和感が無視できない程ひどくなってきたのだ…。仕事中も就寝時もどうしても下腹の辺りがシクシクする。
1日様子を見たが治まる気配は無い。
仕事は忙しい。でもOHSSへの不安や恐怖が大きくなってどうしようもない。一晩悩んだが、受精卵だけ得られても、子宮がどうにかなってしまっては元も子もないと、意を決してクリニックへ行くことにした。
職場への遠慮と申し訳なさはあったが、前日からクリニック行きを意識して多少無理をして仕事を片づけていたので、当日締め切りの業務は残していなかったことも決断を後押しした。
急いでクリニックの予約を取り、朝一番の電車に飛び乗り、業務開始時間を見計らって電車の中から会社に電話し、申し訳なさと気まずさを抱えつつ上司に事情を話し、把握している範囲で業務上代理で対応してもらうことはないことを伝えた上で休暇の申請をした。
常日頃より、地方都市にさえ住んでいなければ、通院に丸一日を費やすことはないのに…と感じていたが、この日ばかりは特に強く、悔しく、何とも言えない感情の波が心に押し寄せ、会社への電話中というか、3時間もの電車移動の間ずっと必死に涙をこらえていた。
幸いお腹の違和感はOHSSではなく、子宮の腫れの影響で、さらにその腫れ自体はまだ許容範囲とのことで、問題無しという診断が下された。疲れでフラフラになりつつも、復路の3時間は安堵で心が満たされ、往路ほどの悲壮感は無かった。
しかし、今回の事件は地方都市で仕事を続けながら不妊治療を続けることへの限界を感じざる得ない事件だった。
9.5.小噺-②自己注射は辛いよ
大筋の話の前に、書ききれなかった強烈体験をいくつか紹介していきます!
〇自己注射
生来の血管の細さ故に血管注射で辛酸を舐めて来た私。でも普通の注射で血管は関係ない。はずなのだが、積み重ねられた恐怖体験から、注射全般が苦手な私は、いつも目をつぶって、刺すところから目を背け、ただ終わるのをじっと待つという戦法でやり過ごしていた。にも係わらず、体外受精へとステップアップすると、採卵のためにの自己注射が避けて通れなくなる。ただでさえ怖い注射を自分で打つなんて、とんでも無い話なのだが、我が子を胸に抱くため!母になるため!頑張るしか無かったのだ…。
私のクリニックでは、自己注射が発生する治療が予定されている人は、事前に1時間程度の自己注射講座に出席しなければならなかった。平日のみに設定されているこの講座への参加のため、また仕事を休まねばならなかったのは地味に痛かったが、不妊治療と違い、予め日時が確定している予定はまだ調整し易いものである。
講座を通じ、注射器に薬剤を入れ空気抜きをするなど、刺せる状態まで仕上げるのはスムーズに出来たのだが、勇気必要だったのは、自分で自分を刺す行為だった。どうしても一歩踏み出せない。しかし、講座では、指導員さんの前で注射を打って見せる(中身は生理食塩水)までしないと終われない。20人位の人と同時に行うものだったので、乗り遅れられない!という焦りで刺す勇気を出せたのだが、問題は本番の自宅での注射だった。家で自分を追い込む状況は中々生まれず、勇気が出せないまま、ただ時間だけがだらだらと過ぎ去っていく…。1時間くらい刺す刺さないでうだうだしていると、傍で応援してくれていた夫もだんだん呆れ顔になってくる。。。そして、いよいよ睡眠時間的に限界になり、やっと勇気を出す、、、という作業を、2度の採卵で計7回!繰り返した。辛かった…。
講座で全く出来る気がしない旨を指導員さんに伝えると『最初大変でも慣れますから♪』と励まして下さったのだが、結局全然慣れませんでした。
〇裏技もあるらしい
同じ講座を受けた人からちょろっと聞いたのだが、どうしても自己注射に自信の無い人は、近所のクリニックに事情を話し、そこが了解してくれれば、注射器と薬剤を持ち込んでプロに打ってもらうこともできるらしい。もちろん保険が効かない自由診療になるため、お金の面でも事前の確認が必要になるとのことではあるが。
そのことを聞いた私。治療のせいで金銭感覚が麻痺していたこともあって、問題をお金で解決しようと、必死で近所のクリニックを調べた。しかし、田舎のクリニックは、総じて閉まるのが早い。都会では19時代位まで診察を受け付けてくれるクリニックはざらにある(※私の実家周辺にもたくさんある)のだが、私が住んでいる地方のクリニックは軒並み18時閉院で受付は17:30~17:45の間に終了してしまう。つまり、定時に職場を飛び出しても、診療受付時間に駆けこむことは物理的に不可能なのである。エスパー〇美のようなテレポーテーション能力さえあれば…。
まあ、地方ではクリニックの数が少なく、患者が集中するという現実がある。私が不妊治療を始める前の平日に、近所の皮膚科に行った時の話であるが、9:00診療開始、受付は8:30~ということで、余裕を持って8:50頃にクリニックの門を叩いたのだが、患者がキャパを超えて集中しているため、午前の診察は既に締め切られていたということがあった。患者の集中によって、受付を17:30に締め切っていても、受け付け済みの患者さんへの対応のため、20:00頃まで電気が煌々と点いているクリニックがざらにあることも知っているので、単純に都市部と比較することは出来ないことは分かっているのだが…。選択肢が少ない。それが田舎の生活なのである。
9.5.小噺-①恐怖!血管注射
大筋の話の前に、書ききれなかった強烈体験をいくつか紹介していきます!
〇注射とわたくし
2回の採卵に向けて行った計7回の自己注射が怖かったということは折に触れて記載していたが、不妊治療は自己注射のみならず、注射のオンパレードである。
検査のための採血、治療のための注射、自己注射、麻酔のための注射…。
ほぼ通院の度に何だかんだで注射を打つと言っても過言では無い…。そして私は注射が大嫌いなのだ。それは過去のトラウマと密接に関わっている。
私は血管が通常よりかなり細いらしい。
血管が細いと当然血管に針を打ち込むことが難しいわけで、血管へ針を刺す点滴用の注射や、採血などで小さいころからかなり強烈な体験をしてきた。
血管が浮き出てくるよう手を看護師さんにバシバシ叩かれ、それでも腕への注射が上手くいかず手の甲(腕より痛い)に針を刺すことなどしょっちゅうだったし、せっかく針を刺しても血管が収縮して?うまく血管に届かず、何度も刺し直しを食らったことなど数えきれない。子供時代にこんなことが何度もあれば、当然トラウマ級の恐怖が植え付けられてしまう。
経験上、担当の看護師さんで注射がうまくいかないと、以下の段階を辿る。
①担当の看護師さん→(3回位トライしてダメだった)→②クリニックの中で注射が上手いと言われている人が登場→(2~3回トライしてダメだった)→③多分結構偉い役職付きのベテラン看護師さんっぽい人orお医者さんが登場→(もう後が無い 何とかしてもらう)
さすがにこの全ての段階を辿ったのは人生に5回しか無かったのだが、何と6回目の経験をすることになった。それは2度目の採卵時のことである。
〇針が血管に通らない
最初の採卵は局部麻酔(クリニックの標準対応)だったが、予想以上に強烈で痛みもあり、次も耐えられる自信が無かった。
そこで2度目は全身麻酔を選択した。
『眠っている間に全て終わってて楽だった!』
という話に後押しされたのだ。
しかし、採卵のため、順番を待っている個室で事件は起こった。そう。全身麻酔のためには点滴をしなければいけないのだが、看護師さんが点滴用の針を何度刺しても、血管に通らなかったのだ。
ベテランの看護師さんが来て次々と私の腕に針を刺していったがだめだった。腕がダメということで手の甲も含め何度も針を刺され、どんどん気分が悪くなる私。
当然体も冷え、血管はますます縮こまってくる。
体を温め血管を広げるため、最終的にベッドにはヒートマットが敷かれ、毛布や災害時などに使用される例の銀色の薄い保温シートで私はぐるぐる巻きにされていた。
が、そこまでしても血管に針が通ってくれない。
最終的に、診察の途中で抜けてきてくれたお医者さんの登場により何とかなったのだが、ここまでで1時間半かかっていた。飛ばされる順番、焦る看護師さんと私、増やされていく保温器具…。私の個室だけがわちゃわちゃする中、かなり早めに行って順番待ちしたおかげで2番目に採卵をしてもらえるはずが、いつの間にか最後の一人になっていた。
『先生でだめだったら全身麻酔は諦めて下さい』
と告知もされ、生きた心地がしなかったが、何とかなって一安心!でも、気疲れで採卵を始める時点でもうヘトヘトだった。付き添いで来てくれて、診察室の前でずっと待っていてくれた母親も、私だけが出てこない!ということで、結構焦っていたらしい(笑)。
何だかんだあったが、肝心の全身麻酔はうまくいき、本当に一瞬眠っている間に全てが終わっていて本当に楽だった。3万円位余計にかかったが、
全身麻酔最高!
9.体外受精への挑戦2(トライ アゲイン)-③体外受精結果 受精卵は得られるか
色々辛かった2度目の採卵…。その成果は!
採取できた成熟卵32個
↓(顕微授精)
受精卵21個
↓(2日・分裂待ち)
初期胚19個 ※前回はこの段階で移植
↓(3〜4日・分裂待ち)
胚盤胞数15個
というものすごい成果を上げることができた!
採卵前のエコーから、今回は多くの卵が育っていることは先生から聞いていた。とは言え、若い人でも20個採れれば大成功とい採卵で、32個も成熟卵が採取できたのは、私の30歳後半という年齢を考えると奇跡である!
大漁!大漁!わっしょい!わっしょい!
体外受精を始めて、神仏に見放されていると感じることが多かった私だが、この時ばかりは、
神様も仏様もいた!
と、拝み倒したい気持ちだった。
妊娠成功率にも関わる胚盤胞のグレードについては、下図の通りである。
胚盤胞の内、受精5日目で胚盤胞に至ったもの11個、うち、G5 AA 6個、G5 AB 1個、G5 BB 1個、G2 2個、G1 1個。受精6日目で胚盤胞に至ったもの4個、うち、G5 BB 1個、G5 BA 1個、G5 BC 1個、G1 1個、
と、グレードが良い卵も揃っている。
たった一個の卵子しか採取できなかった前回と違い、今回は沢山採取できたので、初期胚よりさらに3日程分裂を続けさせた胚盤胞にしてから移植を目指すという作戦も功を奏した。なぜなら、受精して初期胚になっても胚盤胞にならずに分裂が止まってしまう受精卵も一定数存在するので、一般的には胚盤胞にしてから移植した方が妊娠成功率が高くなると言われており(※諸説あり 個人の状況によっても違い有り)、良質な胚盤胞を多数得られたということは、妊娠に向けて大きな一歩となるはずだからだ。
移植に至っても、その後が上手くいかず、かなり落胆した前回の経験を踏まえ、少しでも成功率が高い状況で移植に臨みたいという思いからの作戦だった。
昼休みにクリニックに電話して、胚盤胞の数とそのグレード内訳を聞いた時は、飛び上がるほど嬉しかったことを今でも覚えている。妊娠に近づけたかもしれないという期待と、採卵による仕事と通院の調整や怖い自己注射からはこれでおさらばできるかもしれない!
やったぜ! 私、頑張った!
…と、もう妊娠したかのような気分だった。
9.体外受精への挑戦2(トライ アゲイン)-②2度目の採卵と仕事との両立
体外受精2巡目。一から方針の再検討である。
といっても、移植は指定日にクリニックへ行くだけなので、患者に選べるのは排卵誘発方法位だ。しかしこれがとても難しい。どの方法を選択するかで採卵に向けた通院回数=仕事への負担 が、大きく変わってくるからだ。
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前回私は体と仕事への負担を考え、一般的な排卵誘発方法よりも少しマイルドな方法を選んだ。それでも3回の2日に1回の通院と、注射3回を要し、仕事面でかなり大変なことになったのだが、今回はマイルドでは無い一般的な排卵誘発方法(アンタゴニスト法)を選ぶことにした。
効き目があるということは、それだけ薬の量が増え、通院回数も増える。都会のクリニックへ片道3時間の地方住まいには、緊急の際病院に行けないなどの不安はあったが、前回の過程で薬の副作用など大きなトラブルが無かったことが、なんとかなるんじゃないかという自信につながっていたし、長い目で見ると、一時期ハードでもとにかく移植可能な受精卵数を増やして、心身共にきつくて、仕事への影響も大きい採卵を繰り返さずに済むようにしないといけないという思いからの選択だった。
要するに、『次で採卵とおさらばしてしまわないと色々もたない』と考えたのだ。
幸い子宮の状態に問題は無く、先月に引き続いて治療が可能とのことだった。
結果的に、11日間で4回の通院と9回の注射(図参照)により採卵に至った。
卵子の成熟等の関係で、この排卵誘発方法の割には通院回数が少なく済み、通院回数だけ見ると前回と変わらない結果となった。
しかし、その間の仕事は新規事業の関係で多忙を極め、採卵時点で私の気力と体力は限界に達しようとしていた。
こんなに心身ともに疲弊して、質の良い卵子が採取できるのか不安を抱えつつも、そんなことに思いを馳せる暇も無いほど、サービス残業や昼休み返上で日々迫りくる通常業務をこなすとともに、のしかかる新規事業関連の業務に取り組んだ。
涙を目からではなく心で流しながら。。。
上司自身も多忙を極める中、私が通院のためにちょくちょく年休を取ることについてどうこう言われることは無かった。が、その関心は、私の負っている仕事が回っているかのみに向けられており、治療への心配や配慮といったものを見せることは無かった。
一方、私は私で、不妊治療という事情を知らせていない同僚に出来るだけ迷惑をかけてはいけないという思いと、上司への反発で、仕事をこなさなければ!と意固地になって自分で自分を追い詰める日々が続いていた。
育児支援は徐々に社会に受け入れられつつある。けれど、不妊治療への理解や支援は発展途上で、個人の都合として受け取られるケースがほとんどである。
少子化への対策が必要急務と言われる中、子供を持ちたいという人々が大勢不妊治療専門クリニックに押し寄せている。しかし、仕事をしながら取り組む治療の負担をここまで個人が抱え込まなければいけないものなのかと、悲しくもあり空しい気持ちになったのを今でも強烈に覚えている。
一応私の会社は、現在、女性の働き易さを謳って新入社員を募集しているはずなのだが、それは妊娠という成果を出した人のためのもので、まだそこに至っていない人間には結構冷たいものだった。人手不足の中、そうそう個人の事情を配慮していられないという考えも当然理解できるし、10年前と比較して仕事量は増える中、人員は削減され続け、それでも上司は組織を維持していかなければならない。とても厳しい立場だろう。
しかし、不妊治療には年齢の限界がある。どうしても一時期、上司や愛すべき同僚達に迷惑をかけ、時に嫌われ、白い目で見られ、いわゆる不妊様と思われようと、優先すべきことが私にはあった。子供を持ちたいという自身の願いと、優しい夫を父親にしてあげたいという想いは何ものにも勝った。
職を辞すこともなく、会社に負担がかかる治療方法を選択したことで、社会人失格と言われても、どうしても自分本位にならざる得なかった。でも、それは常に激しい葛藤を伴うものだった。
そして、2度目の採卵の結果は…
9.体外受精への挑戦2(トライ アゲイン)-①治療を継続するのか
体外受精を0から再挑戦しなければならなくなった絶望は大きかった。
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受精卵には各段階に応じてグレードがあり、一般的にグレードが高い方が妊娠率が高くなると言われているのだが、私が移植した初期胚のグレードは5段階評価の3(詳細はグレードの図参照)。受精して分裂した4つの割球がやや不均等で、フラグメントという細胞の破片(無い方が良い)が見られる、決して良質な胚というわけでは無かった。
ただ、移植の対象外となるグレード4・5と違い、グレード3の初期胚はギリギリ移植対象となる。可能性はあったのだ。
一つ前の記事では
『うまくいくことを考えないとやっていられなかった』
と書いたが、一方で、うまくいかなかった時の防衛反応なのか
『期待しすぎてはいけない』
という思いが常に頭のどこかにあり、期待にブレーキをかけていた。クリニックでの採血による妊娠判定の結果を、先生から言いにくそうに伝えられた時、絶望と同時に『やっぱり』という思いに持って行こうとしている自分もいた。
人間の精神構造は非常によくできている。
思わず引きこもりたくなる気持であったが、時は2月下旬。年度末で仕事の繁忙期である。ただでさえも忙しいのに、4月からの新規事業立ち上げ関連の業務が重なり、想像以上にハードな状況だった。引きこもることも、年休を取ることも許されない。そして何より、そんな状況を踏まえた上で、
治療を継続するのか
一旦休むのか
という決断を、妊娠失敗を告知されたその場でしなければならなかった。なぜなら、次月に再度採卵をする場合、数日後から関連の薬の服用等を始めなければいけないからだ。住んでいるのは地方都市。気軽にまた来て相談します!というわけにはいかない。
一回でも通院回数を減らす必要があるのだ。
判定前から少し考えてはいたのだが、結局休みを挟まず3月も引き続き体外受精にチャレンジすることを先生に伝えた。
あえて棘の道を選ぶようなことをした理由は、時間が惜しかったというのが一番だが、通常業務でさえ年度末から6月頃までは忙しくなる中、新規事業関係の仕事が追加され、いつ状況が落ち着くか分からなかったし、一度治療を休んでしまうと再開する勇気がなくなるのではないかという不安があった。
そして、不妊治療の事情を知っている上司が、容赦無く追加仕事を振ってくることに対する、反骨と開き直りの境地に至っていたことからの判断だった。
『仕事のためなんかで忖度してなるものか!』
8.体外受精への挑戦-⑤初期胚移植 かかる大金 たまった仕事 体調不良 そして…
無事初期胚に至った受精卵ちゃんを移植するためクリニックに急いだ。
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初期胚の移植は麻酔を使う必要もなく、採卵よりかなり楽だった。受精卵ちゃんを子宮に入れてもらう時、
先生が『今、入ってますよ~。』
と声をかけて下さり、
心から『おいで!おいで!』
と念じて受け入れた。
移植の手術室は採卵の時の部屋と同じだったのだが、専用のハイテクっぽい機器がずらり!甘い気持ちで始めた不妊治療だったが、たくさんの機器に囲まれながら
『私もすごい所まできたものだなぁ』
と何となく笑いが込み上げてきた。
移植後の生活は、色々気を付けないといけないことが沢山あるんだろうというイメージがあったのだが、先生によると特別激しい運動をするなど体に過度に負担がかかること以外、通常の生活を営んで構わないとのことだった。もともと運動嫌いの私は、特に我慢することも無く日常生活に戻っていったが、そんな私を悩ませたのが一日4回の座薬と体調不良だった。
座薬はコツを掴むまでが大変で、特に職場のトイレで素早く正確に入れるコツを掴むのに苦労した。
そして体調不良。。。
これまでの薬の影響なのか、居住地とクリニックを短期間に行き来する生活による疲れなのか、治療そのものの疲れなのか、気が抜けたせいなのか、、、移植後自宅に帰って以降、10日程の間体がものすごくだるかった。
しかし、もう仕事を休むわけにはいけない。治療のため一週間の間に3日も休んだせいで仕事はたまっている。昼休み返上かつ残業でこなす必要があった。
健康保険の対象外となる不妊治療をするにはものすごくお金がかかる。1ヶ月間の、体外受精・移植に係る治療費・薬代だけで50万円(※交通費除く)近くかかっている。仕事を辞めると治療の継続が難しくなるかもしれない。
そして何より、それなりのやりがいと思いがあって就いた仕事だ。時々(しょっちゅうかも)イライラさせられることもあるが、私の人生にとって必要不可欠なものになっている仕事を辞めるわけにはいかない。石にかじりつくような気持ちで、それこそ命を削るような思いをしながら体調不良と戦いながら仕事をこなした。
そんな生活による疲れなのか、移植から1週間ほど経ち、たまった仕事が片付き始めた頃、目にけっこう大きな出来物ができた。疲れや体調不良が口内炎として出やすい私だったが、目にきたことはほとんどなく、15年ぶり位のことだった。
四谷怪談のお岩さんのようないでたちになりつつ、『絶対疲れのせいだ!』と思いながらも『こんな状態で本当に妊娠できるのだろうか…。』と、元々あった不安が恐怖の域に至るほど、心配でたまらず、心がぎゅっと掴まれるような日々が続いた。
想像を超えていた採卵。そのためには頻繫に仕事も休まなくてはいけない。怖い自己注射もある。複数個の卵子が採取できなかった私には後が無く、今回で決めてしまいたいという思いがかなり強かった。たとえそれが成功率20%ほどの確率であったとしても、うまくいくことを考えなければどうしていいか分からなくなるほど不安でたまらなかった。
※成功率は諸説あり。先生に言われた数字を記載。
そして約2週間後…結果は…陰性…。妊娠には至らなかった。