地方で働きながらの不妊治療!満身創痍

30代後半、地方で働きながら取り組んだ不妊治療の記録です。

9.体外受精への挑戦2(トライ アゲイン)-①治療を継続するのか

 体外受精を0から再挑戦しなければならなくなった絶望は大きかった。

baby-waiting-blog.hatenablog.com

受精卵には各段階に応じてグレードがあり、一般的にグレードが高い方が妊娠率が高くなると言われているのだが、私が移植した初期胚のグレードは5段階評価の3(詳細はグレードの図参照)。受精して分裂した4つの割球がやや不均等で、フラグメントという細胞の破片(無い方が良い)が見られる、決して良質な胚というわけでは無かった。f:id:baby-waiting-blog:20190927184759j:plain

ただ、移植の対象外となるグレード4・5と違い、グレード3の初期胚はギリギリ移植対象となる。可能性はあったのだ。

一つ前の記事では

『うまくいくことを考えないとやっていられなかった』

と書いたが、一方で、うまくいかなかった時の防衛反応なのか

『期待しすぎてはいけない』

という思いが常に頭のどこかにあり、期待にブレーキをかけていた。クリニックでの採血による妊娠判定の結果を、先生から言いにくそうに伝えられた時、絶望と同時に『やっぱり』という思いに持って行こうとしている自分もいた。

人間の精神構造は非常によくできている。

 

 思わず引きこもりたくなる気持であったが、時は2月下旬。年度末で仕事の繁忙期である。ただでさえも忙しいのに、4月からの新規事業立ち上げ関連の業務が重なり、想像以上にハードな状況だった。引きこもることも、年休を取ることも許されない。そして何より、そんな状況を踏まえた上で、

 治療を継続するのか

  一旦休むのか

という決断を、妊娠失敗を告知されたその場でしなければならなかった。なぜなら、次月に再度採卵をする場合、数日後から関連の薬の服用等を始めなければいけないからだ。住んでいるのは地方都市。気軽にまた来て相談します!というわけにはいかない。

一回でも通院回数を減らす必要があるのだ。

 

 判定前から少し考えてはいたのだが、結局休みを挟まず3月も引き続き体外受精にチャレンジすることを先生に伝えた。

あえて棘の道を選ぶようなことをした理由は、時間が惜しかったというのが一番だが、通常業務でさえ年度末から6月頃までは忙しくなる中、新規事業関係の仕事が追加され、いつ状況が落ち着くか分からなかったし、一度治療を休んでしまうと再開する勇気がなくなるのではないかという不安があった。

そして、不妊治療の事情を知っている上司が、容赦無く追加仕事を振ってくることに対する、反骨と開き直りの境地に至っていたことからの判断だった。

 

『仕事のためなんかで忖度してなるものか!』