地方で働きながらの不妊治療!満身創痍

30代後半、地方で働きながら取り組んだ不妊治療の記録です。

10.胚移植の小休止期間-②異動という希望と絶望

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 私の会社では4月の人事異動が一番多い。かくゆう私も次の4月の異動で元の勤務地へ戻れることへの希望に胸を膨らませていた。

元々期間限定の地方勤務であったし、異動が可能な最低限の年数は勤務したし、何より不妊治療や、その他実父の病気(不妊治療を始める前に発症)などの事情を明らかにした上での異動希望だったため、実現する可能性はそれなりに高いのではないかと期待していたのだ。

通院と仕事の両立で、心身ともに限界を迎える中、異動によって実家近くの元の勤務地周辺に戻り、片道3時間通院の負担が軽減されることは、私の大いなる希望の光だったのだ。

 

 しかし結果は…異動無し!

 告知後の私はただただ号泣するしか無かった。

 

 ただでさえ辛い不妊治療に片道3時間の通院という負担が付加された苦労に耐えられたのは、我が子を腕に抱くという目標と、通院の負担が次の4月には軽減されるという希望によるところが大きかっただけに、張り詰めていた糸がぷっつりと切れてしまった。

し・か・も、直属の上司2名を含む私以外の班員の多くが異動という結果で、新規事業を立ち上げつつ、新体制を迎える中で、今まで以上に私の負担が増えることは目に見えていた。

会社が私の不妊治療を潰しにかかっている…

と、本気で思わずにはいられなかった。

 

 早速、同じ会社の同地域の他事務所に勤めている夫に連絡をとった所、夫も異動無しと告知をされたとのことだった。

私よりも早くこの地域で勤務していた夫は、通常であれば元の勤務地に帰る時期で、同じタイミングで異動してきた同期のほとんどは帰任してしまい、一人地方に取り残される形となったとのことだった。確かに治療のために夫婦同居できる地域での勤務を希望していたが、配慮をするのはそっちじゃなくて!!!と人事に詰め寄りたい気分だった。

 

 自分は異動が決まって単身赴任生活に終わりが見え、ルンルンになっている上司と面談し、異動が出来なかった理由について確認した所、

『異動可能な最低限の年数は勤務しているが、一般的な異動可能となる期間には後1年足りておらず、また、他の異動者との調整の結果致し方無かった。夫と一緒に居れる点には恐らく配慮してもらっておいて、どんな不満があるのだ。』

とのことだった。

このまま治療が長引くと勤務の継続は難しく、退職せざる得ない可能性もある旨伝えた所、

『そこまでの状況ならば何故人事が固まり始める1月頃に話をしなかったのか。』と、私のせいにされるようなことを言われ、頭がくらくらして目の前が真っ暗になったのを今でも覚えている。

 

 そもそも、近々治療がステップアップする見込みであることは1月に伝えていたし、どの程度の通院になるのかは状況次第だが、勤務地からでは仕事との両立が難しくなる可能性が高いことを話すと、

『まだ起こっていないことを考え始めると身動きが取れなくなるので、仮定の話はやめよう。』

と言ったのは上司自身だったのだ。さらに、その上司は私の年休の許可も出しているため、体外受精に入った2~3月に、私が頻繫に年休を申請していることを知らないはず無いのだ。

 

 当該地域での勤務の一般的な任期には確かにあと1年足りない状況ではあったが、私の勤務年数で帰任する人はいたし、会社内の当該地での勤務者数が多数派というわけではないため、事情を抱えた私がここに居続けなければいけない理由は普通に考えて無いように思う。

不況で私の世代の新卒採用に、えげつないほどの抑制をかけていたため、会社は人材不足になりつつあることや、今までの働きから、退職勧奨をくらっているということは恐らく無い。結局は、明るく人当たりの良い顔を持つ上司の本音は、自分の在職中に部下に辞められては困るが、だからと言ってその部下のために尽力する気はあまり無かったということなのだ。

要は保身である。

それとも、休み時間やサービス残業、持ち帰り仕事で、何とか仕事を回してしまっていたことで、『このままでも何とかなる』と思われてしまったのだろうか。。。

 

 元の勤務地域に戻ることで、通院にかかる時間が軽減され、会社を休む頻度も減れば、会社へかかる迷惑も軽減されると考えていた。だからこそ、あと1年現在の勤務地で頑張れと言われても、これ以上何をどう頑張ればいいのか分からなくなった。ここまでの仕打ちを会社はするのかと絶望した。治療のための退職を強く強く意識した瞬間だった。

私はこんな会社のためにこれから頑張っていけるのか…