地方で働きながらの不妊治療!満身創痍

30代後半、地方で働きながら取り組んだ不妊治療の記録です。

10.胚移植の小休止期間-③4月、取り残された職場で多忙を極める

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 4月になった。予想通り、いや、それ以上に多忙を極める職場を、直属の上司達や私以外の班員達は笑顔で爽やかに去っていった。

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 採卵のための薬の影響で子宮が腫れていたため、治療を1ヶ月休むことになったのは結果的には良かったと思う。班員の大幅な入れ替えと新規事業立ち上げが重なった4月の業務は混乱を極めていたからだ。とても年休をとって通院できるような状況では無かった。

 

 不妊治療や父親の病気という事情を抱えながらも異動できず、私の心は完全に折れ、抜け殻状態であったが、それでも期限付きで仕事は次々やってくる。

というか、激務と言っても差し障り無いレベルだった。

体力的にというより精神的に本当にきつく、毎晩泣きながら夫と退職について話し合った。いや、話し合いなどでは無く、自暴自棄になった私が不満と不安を夫にぶつけていただけなのだが…。

 

 もともと、働くことが好きだった私は、この時本当に悩んでいた。少なくとも1年の地方残留が決まり、今後の治療をどうするかということに改めて向き合わねばならなかったのだ。

いままでのような無茶な通院生活はもう続けられない。限界だ。

しかし、年齢的なこともあり、治療を1年休むという選択肢は無かった。かと言って、このままの生活を続けて妊娠できる気がしなかった。

ただ、ここで仕事を辞めて治療に専念しても、子供ができる保障は無い。もしそうなった場合、残りの私の人生に一体何が残るのだろうか?

年齢的に一度辞めてしまうと同様の仕事に就くことは難しい。別の分野の職を探すにしても、条件は非常に厳しくなるだろう。

でも、このまま仕事を続け、子供を持つことが出来なければ、仕事を続けたことを絶対に後悔する

どちらの選択もとにかく怖かった。

 

 唯一の救いは、そんな中でも夫は非常に冷静だったことだ。

私が退職してしまった後、お金のかかる不妊治療をどう継続するのかということを説き、自暴自棄の状態で退職することを思い留まるようこくこくと説得してくれた。恐らく治療のせいで同じく異動できなかった夫が冷静さを保ちつつ、情緒不安定な私を支えるのは本当に大変だったと思う。

その点について、本当に感謝の気持ちが絶えない。