地方で働きながらの不妊治療!満身創痍

30代後半、地方で働きながら取り組んだ不妊治療の記録です。

13.3度目の移植-④交通機関が麻痺する中クリニックに行こうとした

 嘘のような本当の話…。そう、3度目の体外受精胚盤胞移植予定日の朝、大きな地震が実家近くを襲った。

移植は午後からだったので、その時私は、実家のベッドでゆっくりしていた。あっ地震だ!と思った瞬間、体験したことの無い揺れに見舞われた。揺れている間中外から『キャー』という誰かの悲鳴が聞こえていた。

『大きい地震だ!やばいっ!』

と思って布団を被っていると揺れは収まった。幸い実家周辺は最大震度の地域では無く、被害は花瓶が倒れて割れた程度で、家族も家も無事であったし、周りも大きな被害を被った感じでは無かった。が、速攻で点けたテレビによると、さほど遠く無い地域で震度6を記録していたことが分かった。

やばい…。

 

 その時はまだ被害の全容は明らかになっていなかったが、何より交通機関の状況が気になった。

無事クリニックに行けるのか…

テレビからは地震の影響で、周辺の全ての鉄道が止まっている旨が発表されていた。過去記事では実家とクリニックが近い、と表現してきたが、電車だけで30分近くかかる。当然歩けるような距離では無い。季節はもう夏。雨が降っていない代わりに、既に殺人的になりつつ太陽がサンサンと照っていた。

 

 10時頃まで実家で電車の復旧を待ったが、回復見込みに関する情報が全く開示されず、これからどうするべきか予定が全く立たなかった。テレビから最大震度地域では結構な被害が出ていることが段々と判明してきて、もしかして午前中には電車が復旧しないかもしれない…と、思い始めた。

クリニックにも電話で相談したが、

『移植に向けて既に胚盤胞は解凍されつつあるのでとにかく来てください。

と告げられ、何がなんでもクリニックにいかなければいけない状況であった。

とにかく駅に行こう!

ということになり、急遽母親にもついて来てもらって早めにクリニックを目指すことになったのだが…そこで私は驚きの光景を目にする。

沢山の人が線路沿いの道を歩いて通勤していたのだ。

そして、封鎖される改札、駅で止まったままになっている電車、タクシーには出勤風の人達の長蛇の列。。。

駅員さんを捕まえて復旧見込みについて聞いてみたが、答えは返ってこない。

『タクシーで行くしかない!たとえ何万かかっても!』

というこになり、母親と別々のタクシー乗り場で順番待ちをした。

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 この時点で11時前。クリニックからも多少遅れても大丈夫と言われていたので、待てば何とかなるだろうとたかを括っていたが、待てど暮らせどタクシーはやって来ない。季節は夏に差し掛かっており、その中で真昼のタクシー待ちはかなり過酷だった。そして、やっとタクシーが来たと思っても、ほとんどの人が相乗りもせず、一人で乗って行ってしまう。。。

周りでは、職場に電話で出勤の可否を確認し始める人が増えてきたが、タクシー待ちの列は中々前に進まない。

こんな時に出勤なんて、日本人働きすぎだよ!

と、かなりイライラしながらタクシーを待った。不安や苛立ちでストレスMax。そして、容赦ない太陽光で体もかなりぐったりしてきた。移植に備えて体を休めるため取った年休や、2日連続の温泉スーパー銭湯での岩盤浴などの効果は、もうこの時点で消失していた。

倒れる人まで出始め救急車が来たが、受け入れ病院が無いのか、患者を収容したまま駅ロータリーで1時間近く止まったままになっているなど、地獄絵図の様相を呈してきた。『もうダメかもしれない…。』溢れてくる涙を抑えながら、タクシーの順番を待った。