地方で働きながらの不妊治療!満身創痍

30代後半、地方で働きながら取り組んだ不妊治療の記録です。

15.妊娠中期-①終わらない悪阻、赤ちゃんが小さいかも…

 地方で仕事をしながらの妊娠生活も4ヶ月を迎え中期に入った。そして私の悪阻は終わっていなかった。

妊娠初期、10週目前後の、飲んだ水を5秒後には吐いている状況からは脱することができたが、それでもフルーツゼリー、スイカ、林檎、梨を主食とする生活は続いていた。お金さえ出せば、年中フルーツを入手できる現代は本当に便利だ。

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 『悪阻は3ヶ月(12週ごろ)になる頃には治まるから…。』と言ってくれていた、義母や母も、ただ『頑張れ!』としか言わなくてなってしまった。夫に至っては

『フルーツを食べて生きてるなんてカピバラさんみたいだね!』

と、とんちんかんな励ましをし出す始末…。カピバラさんは大好きだが、そんな例えをされても全く嬉しく無い。

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 この頃、私の体重は、低下したまま横ばい状態が続いていた。赤ちゃんの成長や、羊水などによるわずかなお腹の膨らみのことを思うと、妊娠に関わる部分以外の本来の私の体重は低下を続けていると考えられた。

季節は秋になり、過ごしやすい季節になったとは言えかなりしんどい…。 顔面蒼白、常にパワー不足、水分不足、でクラクラしており、仕事にも集中できない日々が続いた。

ていうか、私、体外受精の時期も含めると、もう長いこと仕事に集中できていないな…。

こんな時、実家が近くにあれば…。何で職場は私を帰してくれなかったのだろう…。

3年居るのが普通ってなんだよ!

と、会社(人事)への呪詛が続く。。。

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 悪阻対策については病院の先生とも相談し、月1回の定期検診の他に、10日に1回程、点滴のためだけに通院して栄養を取る生活をしていた。正直、赤ちゃんのことや、頼れる人がいないことを考えると、仕事をぶん投げて一時入院や安静のための休職をしてしまいたい気持ちもあったのだが、地元病院がかなりスパルタで

『悪阻は病気じゃないんで!安静にしたって悪阻は治りませんよ!』

と、言われてしまうような感じ(本当に言われた)だったので、どうしようも無かった。

 

 そんな状態の中迎えた17週目の定期検診で、赤ちゃんの推定体重が何とか許容範囲内だが少なめであることを伝えられた。

 

 衝撃…

 

実は私も弟も、小さめの赤ちゃんだった。弟は後少しで保育器に入らないといけなかった位小さかったそうだ。ただ、そんな私たち姉弟はその後大病することなく健やかに育ったし、そういう家系なのだと考えれば大したこと無いはずなのだが…。長引く悪阻で、どう考えてもバランスの良い栄養生活と程遠い所にいた私には結構きつい宣告だった。先生からもナイーブになるほどでは無いと言われたが、

赤ちゃんが小さめなのは私が栄養を取れていないせいではないのか…と、考えずにはいられない

 赤ちゃんのことを思い、吐いてでも無理して食べる生活が始まった。