地方で働きながらの不妊治療!満身創痍

30代後半、地方で働きながら取り組んだ不妊治療の記録です。

13.3度目の移植-⑤交通機関が麻痺する中クリニックに行った

 3度目の体外受精胚盤胞(着床前診断までしたもの)移植日に震度6地震発生!麻痺する交通機関。高齢の両親は車を手放しており、平日の昼間に移動の手助けを頼れる人もいない!最後の手段のタクシーは長蛇の列…どうなる私の胚盤胞移植

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という状況下、殺人的な太陽光にさらされ不安で泣きながらタクシー待ちの列に並び、やっと自分の番が回ってきたのは並び始めて3時間近く経ってからだった。クリニックの集合時間は既に過ぎている。しかも高速はまだ封鎖されているおり、一般道を行くしか無いとのことだった。順調に行っても1時間程かかる。そして、高速封鎖の影響で、一般道が一部混雑しており2時間近くかかるかも…とのことだった。それでも、到着時間の見込みが立ったのは大きな進捗だった。

 大幅に遅刻していることから、既に解凍している胚盤胞の心配と、順番待ちの疲労とタクシーに乗れた安心感で震える手でクリニックに電話すると『2時間かかっても移植は大丈夫なので、とにかく来て下さい!』とのことだった。私にとっての最悪のパターンが、解凍した胚盤胞が使えなくなることだったので、この、『遅れても大丈夫』という言葉は大きな救いとなった。

 クリニックがある最寄り駅は人通りの多い所なので、タクシーが来た時に後ろの列の人々数人に声をかけたところ、全く同じ場所を目指していた人がいたのでその人と相乗りをしていた。その人はインフラ系の会社に勤めており、このような非常時には、どんなことをしてでも出勤しなければいけないということだった。一つ前の記事(タクシー待ちの列に並んでいる時)に、こんな非常事態でも出勤しようとする日本人働きすぎ!というようなことを考えてしまっていたが、こういう特殊な仕事の人もいるんだなぁと、自分のことしか見えていなかったことをかなり反省した。

 一般道は所々混雑していたが、全く進まない…ということは無く、1時間半位で何とかクリニックに着くことができた。万単位のタクシー代がかかったが、タクシーの運転手さんが非常時だから…と、少し割り引いてくれたのと、『相乗りの声を掛けてくれて早めに会社に着けて助かった。』と、相乗りした人が緊急時用の会社支給のタクシーチケットを使ってくれたおかげで、何と私の支払いは¥0で済んだ。これはラッキー!!!

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 既にフラフラになりながらクリニックの受付を済ませ辺りを見回してみると、いつもより人がかなり少ない。高速が封鎖され、公共交通機関が止まっている状況下、遠方から来るにも限界があるので、やっぱりな…という感じであったが、私のような体外受精の移植以外にも、人工授精や採卵等々、以前から予定していた治療を諦めざる得なかった人が何人いるのだろう…と、考えるととても悲しくなった。そして、居住地の地方からだと100%到着出来なかったので、温泉や岩盤浴などのリフレッシュ効果は消えてしまったが、年休を取って実家に居続けていて本当によかった。。。と心から思った。

 大遅刻だったが、胚盤胞はまだ移植可能な状態だった。施術台に座った時、まだ移植前だったのに気が抜けたのか、ヘラヘラ笑いが込み上げてきた。お医者さんからも『よく来ることが出来ましたね~。』と声を掛けられ、『山あり谷ありで移植まで漕ぎつけられた今回なら上手くいくかもしれない…。』と、また根拠の無い期待が込み上げてきた。そして肝心の移植は淡々と終わり、約10日後の血液検査による妊娠判定日まで、服薬や自主的我慢生活などのもんやりした日々た続いた。

そして移植結果は…。