地方で働きながらの不妊治療!満身創痍

30代後半、地方で働きながら取り組んだ不妊治療の記録です。

14.妊娠確認後-⑥転院と大量出血

 仕事のイベントで無理をしたことが原因で不正出血をしてしまってから、私は無理をしないよう細心の注意を払って仕事に取り組んでいた。

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既にタクシー通勤を始めていたし、体外受精による不妊治療中、月4・5日程不規則に年休をとらなければいけなかった時と比べ、月2回程、平日とは言え前もって確定している日に検診に行くだけになった。業務計画が立てやすくなり、うまくいかない不妊治療と仕事の両立という超ド級のストレスからはほぼ解放されていた。

 

 そして12週目の検診で、無事不妊治療クリニックを卒業し、地元の病院に転院できることとあいなった!

しかし残念ながらこのタイミングでも重度の悪阻は治まらず…全体重の10%程の体重が落ちてしまっていた。私は凄くスリムでは無いが、決して太っている方では無いため、10%の体重減というのは見た目にも分かるほど大きなものだった。転院に関わる引き継ぎ書類で、その点について申し送っていただけるとのことだったが、

 

『この状態が続くようだったら入院などの可能性もあるかもしれません…。転院先の先生と話し合って下さい。』

 

と、先生に言われてしまい、少し気弱になってしまった。ショック!入院って…。

そして、前回の検診の際受けた3時間コースの栄養補給点滴を再び受けることになり、ベッドの上で山のように動かず、考えごとだけをして耐え切った。色々あったが、何はともあれ、私の不妊治療クリニック通いはこれで一段落を迎えることとなった。

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今振り返ると、 思い通りにいかず不妊治療が本当に辛い時、

『このクリニックに通わなくてもよくなる日は来るんだろうか?』

と、暗いトンネルの中にいるような、絶望にうちひしがれたことが何度もあった。ただ、専門性の高い先生方が多数所属され、最新の設備が揃うこのクリニックだったからこそ、体外受精を経て1年未満で何とか妊娠までこぎつけることができたのだと、感謝の思い一杯で卒院することができた。

 

 検診前日に定時で職場を飛び出して実家方面の電車に乗り、実家に泊まってから朝早めに予約した検診を受けた私は、16時頃には地方の自宅に到着することができていた。悪阻で食事もできていないし疲れたなぁ…と思い横になろうとした矢先、事件は起きた。

一休みする前に…と、トイレに行った時、生理2日目にドロッとした経血が一気に出てきた時のような感触が私を襲った。

感覚的に、あ、これやばい!

と思い、急いでトイレを見てみたら…案の定便器は血に染まり血の塊のようなものまで浮いている。今回の出血は前回の不正血量とは量も質も全然違う。赤ちゃんに何かあったのかもしれない!どうしよう!夫は仕事、実家は遥か遠く、慣れ親しんだクリニックも今は遠い。頼れる人が誰一人居ない中、私はパニックに陥った。

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14.妊娠確認後-⑤悪阻で点滴

 怖い怖い不正出血を経て初めての検診があったのは10週目のことだった。

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 悪阻の重い吐き気に耐えながらの片道3時間の電車通院は、それだけで私を半死半生状態にしたが、とにかく赤ちゃんの無事が確認したくて、検診の日が来るのを指折り待っていた。結果は前記事の通り問題無し!赤ちゃんはスクスク育っていた。エコーで赤ちゃんの心音を再び確認した時は、涙が出るほど安心した。

 ただ、悪阻の問題が深刻さを増し、体重減は一般的な危険水域と言われる体重の5%をゆうに超えていた。クリニックに相談したが『今は耐えるしか無い』とのこと。原因がはっきりとは解明されてい無い悪阻は、現代医療の力を持ってしてもどうすることもできないらしい…。とりあえず栄養補給の点滴だけはすることになったのだが…栄養補給といっても主な成分はビタミンCで、これにより十分な栄養が補給されるわけでは無いとのことだった。しかし、当時、リンゴとスイカ以外から栄養を摂取できていなかったため、とにかく何でもいいから栄養を取りたかった。栄養…、栄養…。ただ、検診での採血に加えて、また血管注射をするのかと、心は更に重くなった。

 私は生まれつき血管が細く、採血や点滴との相性が最悪で、過去色々事件があったのだが、幸いこのときはスムーズに血管に針を通すことが出来た。 

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問題は点滴の時間で、ゆっくりしっかり栄養を体に取り込ませるため、3時間程度かけるとのこと…。吐き気で眠ることもできず、ただぼーっとするしか無い3時間は本当に拷問のようだった。食欲が一切無いのに胃が空になるとムカムカ率が1.5倍になるという、意味不明な症状だったので、点滴後半は空腹でしんどさが増してくる。3時間かけて点滴をすることが前もって分かっていれば、飴か何かを持っていっていたのに…。あ、でも今どんな飴だったら食べられるだろう?など考えていたら、益々気分が悪くなってしまった(笑)不妊治療と同様、妊娠というものもなかなかままならないものである。

ただこの時は、もう少しして安定期に入りさえすれば、悪阻も落ち着いてくるだろうと思っていた。勝手に…。

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14.妊娠確認後-④不正出血

 妊娠6週目頃からの酷い悪阻で飲食や本を読むことなど、日常生活のささやかな楽しみが全て苦しみに変わってしまった。車酔いのような止まらない吐き気は、私が日常生活で字を読むことさえも難しくしたのだ。しかし、机仕事の私が字を読まない、パソコンを使わない、というわけにはいかない。日常生活での読書はほぼ諦めたが、仕事で必要な読み書きは気合でこなし、計算関係はささいなものでも電卓を使うのをやめ(間違えるから)、エクセルさんに頼った(見直しができるから)。

 妊娠は9週目に入り、普段の8割以下の精度で何とか事務仕事をこなすコツが掴めてきた頃、私の会社でイベントを実施しなければならなかった。一般向けでは無くB to B 的な内容だが、招待客を含めて来客予定者数は150人を超えるものだった。私の課はイベントを取り仕切る係では無かったが、他部署を含め事務所の職員のほとんが動員されて、駐車場整理、受付等々、様々な役割が割りが振られた。

 私の役割は会場案内。1階の受付を済ませたお客様を2階の会場まで誘導する係だった。会場案内は他にも5・6人程配置されていたが、事前説明によると、会場迄案内板を所々立てるので、『案内板の矢印に従って会場までどうぞ〜』と声かけするだけで、後は混雑時に受付の補佐をするだけで良いとのことだった。妊娠報告をした直属の上司とも話して、階段の上り下りが無いなら…と、担当を続行することにしていたのだが、集合場所に行ってびっくり!案内板が無い!メイン担当者を捕まえて事情を聞くと、イベント運営経験の浅いとある上司の思いつきにより案内板は当日の朝に無くなったとのことだった!そんなんで100名以上のお客様を捌き切れる無い!と、係の皆で慌てている所にお客様が来始めてしまった。不安は的中し、会場案内全員が何度も1-2階間を階段で往復するハメになってしまった。上司は私を気遣ってくれたが、人が押し寄せてどうしようも無い場面が何度もあり、赤ちゃんに悪いとは思いつつもその場の流れで私も何度も階段を往復せざる得なかった。

 その日私は心配になって不正出血は無いか何度もトイレに行って確認した。その日は問題は無かったのだが、次の日の朝、生理1日目程の不正出血が確認された。『赤ちゃんがダメになる!嫌だ!嫌だ!』と、怖くて怖くて仕方なかった。泣きながらクリニックの緊急相談に電話した所『生理2日目程の大量の出血で無いなら安静にして様子を見て下さい。』とのこと。後から調べて知ったのだが、妊娠初期は、流産の原因の多くが胎児由来で、たとえ妊娠継続が危ない状態でも医学的に出来ることはほとんど無く、様子を見守るだけというケースが多いようなのだ。出来るだけ平静を装って会社に年休申請の電話をした後、『無理してゴメンね、ゴメンね。』と、お腹に話しかけながら、泣きながら祈るような気持ちで休みを取った。幸い、出血はすぐに止まり、その後の10週目の検診で無事な姿が確認されたのだが…、妊娠中は絶対に無理をしてはいけないという教訓になった。

赤ちゃん、無理をしちゃって本当にゴメンね。

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14.妊娠確認後-③悪阻で通勤、地方故に私は苦しまねばならぬ…

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 2回目の検診(6週目)直後から始まった重度の悪阻。主な症状は重度の吐き気だったわけだが、この吐き気は食欲減退や体重減などの身体的な問題をもたらしただけでは無く、私の通勤をも危うくしてしまった。

 私は居住地の地方に異動した時から、バスを利用して通勤していた。自宅(最寄駅からは近い)から職場まで歩いて通える距離では無いのが、田舎あるあるで一駅毎の距離が都会と比べてびっくりするほど長いため、線路には近い職場の近くには駅が無い。昔交通事故にあった関係で、車の運転ができなくなってしまった私に残された通勤手段は、バスと自転車のみである。そして自転車でも女性の足で普通に漕げば30分近くかかるため、できるだけ利用したく無い。しかも雨の日の問題もある。ということで、バスを使うしかなくなるわけだが…当然田舎のバスは本数が少なく、一番本数が多いラインで1時間に1本あるか無いか、という状況である。そしてそのバスも、最寄駅前のバス停から職場近くのバス停まで、大回りして向かうため、自家用車では10分程度で着くものが、20~30分近くかかってしまう。ここで出てきたのが悪阻である。私の悪阻は車酔いのような感覚に似ていた。車に乗る前から車に酔っているわけだから、バスが動き出して揺れだすと、さらに症状は重くなる。地方は物凄く自家用車社会で、バス通勤をしている人はほとんどいないので、朝のラッシュ時間でもバスは驚くほど空いている。常連さんは2・3人程度で、座席に座れないことは絶対無いのだが、それでもかなり辛い。都会の電車通勤などでは一度電車から降りて一休みし、少し状況が良くなってからまた電車に乗るということが出来るのだが、一度降りてしまうと次のバスが来るのが1時間後という地方では、バスの中でゲロを吐こうが気を失いそうになろうが、降りることはできない。季節はもう夏、残りの道程を田んぼばかりの道をとぼとぼ歩いて通勤することも、次のバスを1時間太陽光に曝されながら待つことも難しい。というか、確実に行き倒れる。

 2・3度本当にバスの中で吐きそうになり、それを必死で我慢して、バスを降りた直後に吐くということがあったため、夫とも相談の上バスでの通勤を諦めた。夫も車を運転できないため、乗せて行ってもらうことも出来ない、そして、自転車の利用は医師から止められていた。さて、どうする?私の通勤…そうだ!タクシーが有った!(涙)

 最短ルートだと片道10分程度の距離なので、タクシーを使っても一回片道¥1,300~¥1,500程度だが、それが毎日だとお財布へのダメージはかなり大きい。特に、不妊治療で貯金の多くを使い果たしてしまった私たち夫婦には痛かった。まあ、治療で毎月数十万が飛んで行っていた頃を考えるとマシといえばマシなのだが…。タクシー通勤で私はかなり楽になったが、お財布は本当に痛かった…。地方に異動前に通勤に利用していた鉄道は10分毎に電車が来たのに…と、また不妊治療で異動させてくれなかった職場への呪詛を唱えたい気持ちになっていた。ただ、体力が無くやはり怒りを持続する力は無かったのだが。。。

 

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14.妊娠確認後-②ひどい悪阻と上司報告

 2回目の検診の帰りに災害レベルの記録的な大雨で、地方の自宅に帰れなくなるという、とんでも無い経験をした。

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検診は別日でも問題はさほど無いが、ホルモン周期によって施術が行われる不妊治療では何かのトラブルで予定日に通院できない場合、代わりの日に施術することがほとんど出来ない。また、もし代替日での施術が可能だったとしても、私が行っていたような、有名不妊治療クリニックは常に満員状態で、予約が可能かどうか、という問題にもぶち当たる。こういう点でも、地方から不妊治療で都会に通院せざる得ないリスクというのは非常に大きいことを実感させられた。何せ地方の鉄道網は山間部を一部単線で通っている箇所も多数あるためか非常に脆弱で、自然災害時に町の被害がさほどでなくても、鉄道は丸1日運休しているということはしょっちゅうなのだ。

 ただ、検診に行ったかいはあって、無事心拍が確認できた!これは嬉しかった!出産までの長い、長い、道のり。様々なハードルはあるが、心拍の確認というのは、一つの大きな分岐点だろう。その他、血液検査の結果も問題無いということで、夫の両親にも妊娠を伝え、本格的なマタニティライフに突入したのだが…、大きな問題が立ちはだかる、そう、2回目の検診の直後に発生した悪阻である。

 私は正直、妊娠までの道のりが遠すぎて、大変すぎて、妊娠後の生活に思いを馳せる余裕が全く無かった。過去『悪阻が大変だった~。』と言っている友達にも会ったことがあったが、あくまで事後の話で、どの程度のものか想像もしていなかった。

悪阻と書いて『つわり』と読む。何とひどい漢字をあてるのだろう…。と、思う。でも、文字通り、悪阻は私に悪夢のような重篤な症状をもたらした。

 

先生『栄養をバランス良く取って下さい。ただ、一部接種し過ぎるとよくないものもあるので気を付けて下さいね~。

私『は~い!』

 

という呑気な会話を2回目の検診でしていたのだが、その直後、栄養云々を語ることは完全に無理な状態に陥った。とにかく激しい吐き気で…、なんせ食べられるものが無くなった。飲んだ水を5秒後にはトイレで吐いている、という状況で、お茶も無理、当然ポカリなんかの味の付いた飲み物は完全に体が受け付けなかった。。。

辛うじてフルーツゼリーとりんごは食べられたので、夫にスーパーで買ってきてもらうと…カロリー0のダイエットゼリーだった!いや、そうじゃなくて!!!カロリーいるから!今、とてもいるから(怒)

チェンジ!!!

 

 どんどん減る体重、青ざめる顔、職場には唯一食べられるりんごを剥いて1個丸々ホイルに包んで持っていく日々…。経産婦を中心に勘の良い同僚数人にはすぐに妊娠だとばれた。核心的かつ直接的な質問をされることは無かったが、会話の間接的な表現でもう完全にばれていたことを確信した。結局、あまりにも悪阻が酷く、仕事を1日普通に勤め上げることが困難になったことから、正式に直属の上司2名には報告せざる得ない状況になってしまった。心拍が確認できたとは言え、まだまだ流産のリスクはあるので、せめて安定期に入ってからにしたかったのだが、そうは言っていられなくなった。

 

私『不妊治療のかいあって妊娠することが出来ました。』

上司1・2『おめでとう!本当に良かったですね!』

私『それで…実は、とんでもなく悪阻が重い体質だったようで…日常生活もおぼつかない状態です。仕事をもしかしたら休む日が出てきたり、勤務中に少し休憩をいただくことになるかもしれません。また、特別な治療を経ての妊娠なので、安定期に入って医師の了解が頂けるまで、これまでの都会の不妊治療専門クリニックに2週間に1回程検診に通う必要があります。検診は平日のみなので、そのためにお休みをもらうことになります。申し訳ございません。』

上司1・2『…。了解しました。悪阻はじきに収まると思いますし、まずは子供のことを第一にして下さい。年休や休憩のことは了解しました。会社には妊婦専用の休暇などがあるので活用して下さい。ただ、そのためには、母子手帳など妊娠を証明する書類が必要です。』

私『母子手帳をすぐに取得します。』

 

 調べてみると、検診での休暇の取得など、働く妊婦を保護する様々な法制度があるようで、それは当然うちの会社にも導入されていた(しなくてはいけないから)。今まで、血反吐を吐きながら満身創痍で仕事をしながら不妊治療に取り組んできたが、会社の支援制度は無く、孤軍奮闘という感じだった。しかし、妊娠という印籠を手に入れたとたん公的に本当に様々な支援を受けられる。正直『何だこの差は…。』と愕然とした。妊婦はある程度保護されて然るべきだとは思うのだが、この支援を少しでも不妊治療にも向けてくれれば…。不妊治療退職という望まぬ退職を少しでも防ぐことができるのではないか。。。

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 憤りにも似た感情が沸々と沸いてきたが、怒りを継続するエネルギーは当時の私には無かった。とにかく母子手帳…。そして、市のホームページで調べてみると、母子手帳を交付してもらうには、平日に市の保健所に行くしかないことを知った。また会社を休まないといけないのか…。がっくり…。

14.妊娠確認後-①記録的大雨、止まる公共交通機関、地方は辛いよ

 激務、体調不良、大地震など、血反吐を吐くような思いをしながら受けた3度目の体外受精の結果、何とか妊娠に至ることが出来た私。

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しかし、喜びもつかの間、その後も色々大変だった。

 

 まず、妊娠3ヶ月の安定期に入る迄、2週間に1回程これまでの不妊治療クリニックに検診に行かなければならなかったのだが、それは平日に限定されていた。

要は、土日の貴重な診察日は治療を受けている人を優先するということだ。この点については心から納得したし、そうあるべきだと思った。

が、事前に日付が決まっているとは言え、治療で年休をかなり使っており、さらに月に2回程年休を取り続けるのは結構きつかった。そしてその通院には電車で片道3時間かかるのだ。

 

 胎嚢は1回目の検診(5週目)で無事確認できたものの、私は子供が無事育っているのか、という恐怖に常に憑りつかれていた。

かなりの苦労を経ての妊娠であった故、ここでもし流産してしまえば次どうなるか分からない…と考えずにはいられなかったのだ。

気持ちとしては、近場の病院であれば毎日通院して子供の無事を確認したかった。検診が待ち遠しいとまではいかないが、それに近い思いがあった。

けれども検診は怖い。

もし子供がお腹の中で死んでいたら…と思うと、そのことを知るのが怖くてたまらなかった。

この相反する考えが常に思考の一部分を占めていた。

 

 そして、事件が起きたのは2回目の検診の時(7週目)だった。検診は金曜だったので、木曜の夜実家に帰り金曜の検診の後、土曜は実家で休んで日曜にゆっくり地方の自宅に戻る予定だったのだが…検診のあった金曜の夜、記録的な大雨が地方の自宅周辺を含む広い範囲を襲ったのだ!

自宅にいた夫によると、自治体からの避難準備通知がバンバン携帯に入ってくるほどだったそうな。。。問題はその大雨が脆弱な地方の交通インフラを一部破壊したことだった。実家から自宅へ続く長い長い鉄道が部分的に、そして広い範囲で、溢れた川に浸かったり山から崩れた土砂や木に通せんぼされたりで、鉄道の復旧の見通しが中々立たなかった。そして、本数が少ない高速バスは既に予約で一杯になっている。

 

 さらに、タイミングが悪いことに、その土曜の夜から突如強いめまいと吐き気に襲われ出した。そう、それが悪阻の悪夢の始まりだった。土曜の深夜にお手洗いで目が覚めた時(それ自体凄く珍しい)強いめまいがあったのだが、疲れが溜まっているのだろう…と、その時は無視して眠りについたが、翌日の日曜の朝、めまいと吐き気で起き上がることが出来ないほどの情況に陥ってしまったのだ。

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 職場には本当に申し訳なかったが、家族を含めて車の運転が出来ないため、日曜は自宅に戻る手段が一切無かったことや悪阻の経過を見るため、月曜にも急遽年休を取ることになった。結局、自宅への鉄道は月曜も復旧せず、悪阻は全く治らずだったが、もう会社は休めない…ということで、なんとか予約が取れた夕方の満員の高速バスで4時間近くかけて帰るはめになってしまった。

次の日には鉄道が復旧する見込みだったのだが、これ以上急な年休を取るわけにはいかなかった。込み上げてくる吐き気、揺れる満席のバス…まさに地獄のような4時間だった。

 移植の時は地震で検診では大雨かい!

何という災害尽くしだろう。。。

 

13.3度目の移植-⑥移植結果

 貴重なG5AAの胚盤胞(着床前診断を行ったもの)を移植する当日、震度6の地震に見舞われ公共交通機関が麻痺する中、泣きながらタクシー待ちの列に並び3時間近く遅刻しながらも、何とか移植にこぎつけるという、万全の体制で臨んだはずがバタバタの中終わっていった3度目の胚盤胞移植

 妊娠に至っているのかどうかも分からない中、10日後の検査日まで薬を飲みながら、1日3回の座薬を打ちながら、もんやりとした日々が続いた。そしてその結果は…。

 

何と、陽性!妊娠していた!

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 前回の移植で、期待のG5AAの胚盤胞(着床前診断を行ったもの)でさえも妊娠に至らず、しばらく頭がクラクラして働かなくなり、体が動かなくなるということがあったので、今回も夫についてきてもらって妊娠判定に臨んでいた。判定結果の紙を見ながら先生が『妊娠していらっしゃいますよ。』と言ってくれたのを聞いた瞬間、私達夫婦は涙を流しながら喜んだ。

 

 初めての妊娠だ

 

これまでの不妊治療で辛かったことが走馬灯のようにさーっと一瞬で頭の中を駆け巡り、今回、何とか陽性という結果を出せて本当に良かった…と、心から思った。

 

 ただ、片道3時間の不妊治療クリニックへの通院はこれで終わらなかった。3ヶ月が経過し、安定期に入る頃までは、引き続きクリニックへ通院し、専門のケアを受ける必要があるとのことだった。そして、座薬や一部の薬も継続しなければならず、引き続き薬漬けの生活が続くとのこと…。座薬だけは勘弁してほしいな…と思いつつ、患者は先生の言うことをきくしかない。追加の薬を受け取り、緊急相談用の専用電話番号の用紙をもらい、2週間後の診察の予約をして帰路についた。

 

 帰りの電車では、夫も私もハイテンションだったが、長引く不妊治療を通じ、期待のし過ぎで天国から地獄に突き落とされてきた数々の経験から、意外と冷静で夫の両親(不妊治療について私の両親は知っているが夫の両親は知らない)や職場に報告するタイミング等、様々な事務的なことを話し合った。でもその道程は、今までのいつ抜けるか分からないトンネルの中にいるような感覚とは全く違う、キラキラしたものだった。