地方で働きながらの不妊治療!満身創痍

30代後半、地方で働きながら取り組んだ不妊治療の記録です。

15.妊娠中期-④地方の妊婦の視点から出生前診断・着床前診断を考える

 以前の記事でも書いたが、私は不妊治療の体外受精の2回目の採卵・受精の際、胚盤胞まで育った受精卵の染色体異常を調べる着床前診断(PGS)をした。

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  結果、3度目の正直の移植で妊娠に至ることが出来たわけだが、妊婦の視点で着床前診断を振り返った時、着床前診断を実施した不妊治療当時とは違った視点が得られた。

 不妊治療中の私は、まずは妊娠することが最大目的だった。そのために、交友関係、社会的信用、健康、精神的安寧、時間、お金、etc 色々なものをかなぐり捨て、ただただ妊娠のために突き進んでいた。着床前診断も極端な言い方をすると妊娠のための手段の一つだった。でも、妊娠という目的を果たしてから思う。

 妊娠は一つの通過点。無事出産まで辿り着くのは凄く大変なことだ と。

もちろん、妊娠は約10ヶ月後の出産という明確なゴールがあるので、出口が見えないトンネルの中にいるような不安・恐怖がつきまとう不妊治療と比べれば大変さの質が全く異なるものではある。ただ、私のように中々妊娠に至らないのも辛いが、妊娠成立後に流産するのは肉体的精神的に母体がもの凄いダメージを受けることは知識としては知っていた。しかし、自分の妊娠後は、流産を想像しただけで胸が張り裂けそうになる位生々しく感じるものがあった。『お腹の子供を無事に産みたい。これはほとんどの妊婦に共通する願いだろう。

 そのためにも、もし胎児に異常があるのであればできるだけ早く発見し、状況に合った出産方法や受け入れ態勢を検討しなければならない。それを見落としたままだと、出産やそこに至る過程で赤ちゃんがダメージを受けてしまう可能性がある。そのための手段としての出生前診断という側面を、妊娠してから私は強く実感した。

 出生前診断により胎児に異常が見つかった際堕胎する人(私はその選択を決して否定しない)もいて、着床前診断と同様『命の選別』として検査の実施を否定的に見る人もいる。が、この検査により生まれて来る赤ちゃんをより良い体制で受け入れられるメリットは非常に大きい。特に、私のように母親の年齢が高めの場合、胎児の染色体異常の確率が高くなってしまうため、赤ちゃんがどのような状態であるかを知ることは、赤ちゃんのためにも大切なことだ。

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 ただ、この出生前検査を正規のルートで実施しようと思うと、非常にハードルが高い。35歳以上のみという年齢制限があったり、検査には母体血清マーカー検査や母体血胎児染色体検査という、母体の血液だけで診断される非確定的検査と羊水検査や絨毛検査という、母体の腹部に針を刺して細胞を採取して行う、流産や破水等のリスクが伴う確定的検査があるのだが、、、これらは限られた病院のみで行われており、さらにおおまかには以下のステップを踏まなければならないのだ。

 ①夫婦揃って来院カウンセリング ※平日予約制

   ↓

 ②別日に検査のために再来院 ※平日予約制

   ↓ 

 (③多くが非確定検査から入るためその結果が要確定検査であれば確定検査を受けるために再々来院)

 ※さらに検査結果を聞くためだけに来院しなければならないケースも多い。また、母体血清マーカー検査や母体血胎児染色体検査のみ、カウンセリング等無しで行っている医療機関等もあるようだ。

 実際、私が通院していた地方の病院では、通常の妊婦検診の一環で行う精度の高いエコーや超音波機器などで、胎児の見た目の状態を通常の検診よりも入念に確認するスクリーニング検査以外、前述の出生前検査を実施していなかった。地方の居住地には産科がこの病院しか無いので、居住地の妊婦が出生前検査を受けたい場合、夫婦揃って仕事を休み、片道3時間かけて都会の病院に行くという一日作業の行程を繰り返さなければならないが、それは悪阻が酷い私には無理なことだった。

  高齢出産になる私にとって、お腹の赤ちゃんの障害の有無を知り、出産に備えることは精神衛生上必要なことだったが、体調の関係でそれが非常に難しい状況の下、着床前診断を行っていたことは大きな安心に繋がった。先生の話だと着床前診断も0.1%程の確率で診断結果と違うことがあるらしく、

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 確実な診断のためには羊水検査や絨毛検査などの確定検査が必要だそうなのだが、着床前診断やスクリーニング検査、通常の妊婦検診のエコーで問題無いのなら、大丈夫かな…と気楽に構えることができた。不妊治療の過程ではあったが、地方在住で出生前診断も容易では無かった私にとっては、着床前診断を受けていて良かったと心から思えた。

15.妊娠中期-③里帰り出産する病院

 時は少し遡る。

 妊娠12週で不妊治療クリニックを卒業する際、転院先の病院と、(希望者のみ)里帰り出産のための病院を伝え、紹介状をもらわなければならなかった。

仕事で来た居住地の地方都市には頼れる親族もおらず、そこでの出産は産後の生活に不安があったため、里帰り出産をすることは決定事項だった。

が、広い地域に1つしか産科が無い居住地とは違い、都会にある実家の近くには沢山産科の病院(入院できる病床が20床以上)やクリニック(入院できる病床が20床未満の医院)がある。

どこで産もうか…それが問題だ!

国立の大学病院、公立病院、有名な系列の総合病院、地域密着型のクリニック、セレブ系の贅沢クリニック etc より取りみどりだ!

選択肢があるなんて何て素晴らしいのだろう!

 

 実は私には夢があった。それは、セレブ系のクリニックで優雅で快適に美味しい食事を楽しみながらゆとりのあるお産ライフを満喫することだった。

そういう所では入院中はフランス料理が出たり妊婦用のマッサージなどもあるらしい!

こんなに、こんなに、しんどい思いをして不妊治療を受けているのだから、もし出産にこぎつけられたら少々お金がかかっても贅沢をしてやる!』

と、苦しい苦しい治療中、私は密かな野望を抱いていた。

そして、ついにその"時"が来たのだ!

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  でもそんな私の野望は夫にも両親にも不評だった。理由は

『30代の中盤というか後半というか、という年齢の私のお産には常にリスクが付きまとう。最初からどんな状況にでも対応できる設備の整った病院の方がいいのではないか。

ということだ。

正論である。ぐうの音も出ない。正論の前に私の野望あっさりと終焉を迎え、現実と向き合い、リスクヘッジを取る方向へ舵を切った。ということで、結局、実家から車で10~15分位の総合病院での出産を決めた。ご飯、美味しいのかな、まずかったら嫌だな。なんせ病院だしな…。遠のくフランス料理。

 

 不妊治療クリニックを卒業した段階で、里帰り先の総合病院でのお産の予約はしていた。しかし、妊娠が20週に入った頃、その病院へ検診に行かなければならなかった。居住地の病院からの転院をスムーズにするために、このタイミングで一度検診に来てほしいと言われてしまっていたからだ。

  本当は行きたく無かった。

というのも、命の水(レモン水)の登場で、慢性的な脱水症状からはやや脱出できたとは言え、悪阻の症状はまだまだ重く、無事長距離移動出来る自信が無かったし、片道3時間程かかる実家近くの病院にに行くために、また会社を休まなければならない。不妊治療で年休が本当に残り少ない中かなり痛い。ただ、出産のため…と言われてしまうと、行かないという選択は無い。

 

 不妊治療の開始から不妊治療クリニックを卒業するまでの間、頻繁に利用していた実家に2ヶ月ぶりに帰宅した。母は私の想像以上にやつれた様子に少しびっくりしたそうだが、適切に悪阻に悩まされる私に合った食事を用意してくれた。やっぱり実家はいい…。こういう時、本当に頼りになる。実家が近くにあれば、私はもっと楽なのに…。異動させてくれなかった会社が、憎い…。

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 里帰り先の病院での検診は順調だった。同じ総合病院ということで、居住地の病院と雰囲気も似ていたが、先生達がなんか凄い優しい!混み具合がまだマシ!混み具合がマシな分、一回の診察に余裕があるにだろうか?それとも競争の原理があるか無いかの違いなのだろうか…。ヘタレで根性無しの私は、これからの診察もずっとこっちがいい…。と思ってしまった。でも無理だ。産休に入って里帰りするまでの我慢だ。。。里帰り先の病院の先生は私の悪阻の重さと減った体重がほとんど戻っていない中で、居住地の病院の先生が入院や安静の措置等を検討しないことに、少し 驚いているようだった。『悪阻は病気じゃ無い、休んでも治らないって言われちゃいました。』と言うと『スパルタですね。。。』と、、、でも、病院の互いのスタンスに口を出さない方針からか、それ以上どうこう言われることは無かった。うへぇ…。

 

 検診は金曜だったので、土日実家でゆっくりして、夫の待つ家に帰った。今度は地震も大雨も無く順調に帰れてホッとした。 

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15.妊娠中期-②悪阻でも食べられるもの探しと命の水

 妊娠中期に入っても重度の悪阻で少量の水と果物しか食べられず、定期的に点滴に通い栄養を補給している中、お腹の赤ちゃんの体重がギリギリ許容範囲の少な目であることが告げられた。

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赤ちゃんのために食べなければ!

フルーツと点滴だけではいけない!

そう考えた私は、食べられるものだけを食べる生活から何とか食べる生活へと移行した。

とは言え、急に食べられるものが増えるわけでは無い。基本吐く。

方針としては、従来よりも積極的に食べられるものを探そうとした。食べる前から絶対ダメだな、と思うものは避け、何とか食べられるかもしれない、、、というものを積極的に食べようとした。

よしんば吐いてしまっても、胃の中に少しでも残るならいいや!と…。

 

 食べられるもの探しは壮絶だった。とにかく吐く、吐く。。。でも、従来のスイカ・林檎・梨・フルーツゼリーに加え、以下ものが食べられることが分かった!

 

・まんまるラムネ

・ゆでたホウレンソウ

塩味の揚げ物・炒め物・焼き物 ※体調や具による

・赤飯 ※ゴマ塩必須

・石焼ビビンバ ※コチュジャン無し

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一方で具が何であっても醤油系、煮物系は一切だめだで、キノコ系は調理方法・味付けによらずダメだった。

 

 新たなる発見の中で一番助かったのはまんまるラムネ!!!他のものは日によって食べられないことがある一方で、安定して大丈夫だったのと、食べ方も値段も手軽だったので私の貴重な栄養源になった。

 そして…

自作のレモン水!これは私にとって命の水となった!!!

クックパッドにあったものを私好みに少しアレンジした作り方は簡単!

 

ボルヴィック1.5L(他のミネラルウォーターはなぜかダメだった)にレモン半個分の薄切りを入れて冷蔵庫で1時間程置く。あとはそのまま飲むだけ♪

 ※レモンは国産の無農薬なら皮付きでOK!国産でも農薬有りだったり外国産であれば皮をむいていた。

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 このレモン水で救われた!本当に救われた!慢性的な脱水症状からある程度解放された!ありがとう!レモン水!!!

 

15.妊娠中期-①終わらない悪阻、赤ちゃんが小さいかも…

 地方で仕事をしながらの妊娠生活も4ヶ月を迎え中期に入った。そして私の悪阻は終わっていなかった。

妊娠初期、10週目前後の、飲んだ水を5秒後には吐いている状況からは脱することができたが、それでもフルーツゼリー、スイカ、林檎、梨を主食とする生活は続いていた。お金さえ出せば、年中フルーツを入手できる現代は本当に便利だ。

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 『悪阻は3ヶ月(12週ごろ)になる頃には治まるから…。』と言ってくれていた、義母や母も、ただ『頑張れ!』としか言わなくてなってしまった。夫に至っては

『フルーツを食べて生きてるなんてカピバラさんみたいだね!』

と、とんちんかんな励ましをし出す始末…。カピバラさんは大好きだが、そんな例えをされても全く嬉しく無い。

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 この頃、私の体重は、低下したまま横ばい状態が続いていた。赤ちゃんの成長や、羊水などによるわずかなお腹の膨らみのことを思うと、妊娠に関わる部分以外の本来の私の体重は低下を続けていると考えられた。

季節は秋になり、過ごしやすい季節になったとは言えかなりしんどい…。 顔面蒼白、常にパワー不足、水分不足、でクラクラしており、仕事にも集中できない日々が続いた。

ていうか、私、体外受精の時期も含めると、もう長いこと仕事に集中できていないな…。

こんな時、実家が近くにあれば…。何で職場は私を帰してくれなかったのだろう…。

3年居るのが普通ってなんだよ!

と、会社(人事)への呪詛が続く。。。

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 悪阻対策については病院の先生とも相談し、月1回の定期検診の他に、10日に1回程、点滴のためだけに通院して栄養を取る生活をしていた。正直、赤ちゃんのことや、頼れる人がいないことを考えると、仕事をぶん投げて一時入院や安静のための休職をしてしまいたい気持ちもあったのだが、地元病院がかなりスパルタで

『悪阻は病気じゃないんで!安静にしたって悪阻は治りませんよ!』

と、言われてしまうような感じ(本当に言われた)だったので、どうしようも無かった。

 

 そんな状態の中迎えた17週目の定期検診で、赤ちゃんの推定体重が何とか許容範囲内だが少なめであることを伝えられた。

 

 衝撃…

 

実は私も弟も、小さめの赤ちゃんだった。弟は後少しで保育器に入らないといけなかった位小さかったそうだ。ただ、そんな私たち姉弟はその後大病することなく健やかに育ったし、そういう家系なのだと考えれば大したこと無いはずなのだが…。長引く悪阻で、どう考えてもバランスの良い栄養生活と程遠い所にいた私には結構きつい宣告だった。先生からもナイーブになるほどでは無いと言われたが、

赤ちゃんが小さめなのは私が栄養を取れていないせいではないのか…と、考えずにはいられない

 赤ちゃんのことを思い、吐いてでも無理して食べる生活が始まった。

14.妊娠確認後-⑨病院の母親学級(平日…)

 妊娠13週の地元病院での診察の際、病院主催の母親学級を案内された。聞けば丁度私位の週数の人を対象とした月に1回の教室が3日後にあるとのことだ。

平日開催だったのと、悪阻の関係で、あまり乗り気では無かったのだが、面談した病院の保健士さんの強い勧めと、何とか仕事の調整がつきそうだったので急遽参加することにした。

 

 地元病院への転院により、赤ちゃんに異常が無ければ、しばらくは月に1回の定期検診に行くだけでよくなったとは言え、全く悪阻が治まらなかった私は、不妊治療クリニックで受けていた栄養補給の3時間点滴を地元病院でも受けていた。そのため、朝早めの時間に検診予約をしていても、

 

受付→採血・採尿→検診→3時間点滴→会計

 

となると、ほぼ一日コースとなってしまう。検診毎に会社を休まなければならない状況は変わりなかったため、さらに休みを重ねることにも罪悪感があった。が、赤ちゃんのために必要であれば仕方が無い…。

 

 悪阻でゲロゲロになりながらも市役所で母子手帳をもらった時にも、市主催の母親学級の案内をもらった。しかし、その全てが平日開催で…働いている人も多い昨今、この手の教室が平日だけというのはどうなのかな…と思わずにいられなかった。

後から調べると、土日に母親学級を開催する市町村や病院もあるようなので、私の住んでいた地域での対応がイマイチだということなのか…。

 

そして3日後の母親学級では…

 

悪阻がきつすぎて正直内容が全然頭に残りませんでした!

 

 栄養バランスのある食事ということで、前日に食べた食事の栄養素計算をしたのだが…

朝→食べられず 昼→リンゴ1個 夜→リンゴ1個

が状態化していた私の計算は一瞬で終わってしまった。そこで周りを見渡すと…

 

『何か皆さん一生懸命計算してる…、えっ、この時期の妊婦って、ほとんどの人が悪阻で大変なんじゃないの!?えっ???』

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この時、私は自分が少し微妙な立ち位置にいるのではないかという予感に襲われた。

 

 そして休憩時間…。

 同じ境遇の女性が集まれば、知らない人同士でもおしゃべりに花が咲く。私も席が近い人達と話していたのだが…悪阻が無かったという人や、悪阻?そんなのもう終わってるよ、という感じの人達ばかりだった。周りを見ても、私と同様悪阻できつそうな人は1、2名ほどしか居ない…。

 

 えっ!?

 

 自らの悪阻が普通よりも重めで、長引いていることを知った瞬間だった。

不妊治療でやっと赤ちゃんを授かったと思ったら重度の悪阻…。私は本当に妊娠との相性が悪いのだな…。

 

14.妊娠確認後-⑧代わりのない地元病院

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  12週目の大量出血を乗り越え、妊娠は13週目に突入した。転院時に突如地元病院に駆け込むことになったが、私が紹介状を忘れたため、元々予約を入れていた13週目の定期検診にも紹介状持参で来てください…と言われ、約1週間後、また病院の門を叩くことになった。

 

 何度も言うが、私が住んでいたのは地方都市だ。内科や耳鼻科などの小さな個人クリニックは少数あるが、入院できるベッドが20床以上ある医療法上のいわゆる病院は各市町村に1つあるか無いかである。さらに産科のある病院は、広大な地域に1つしか無い。よって、転院先の病院には広大な地域の妊婦全てが通うことになる。

人口減が激しい地方都市と言えど、全ての妊婦が集まるわけなので、その数は相当のものになる。案の定、産科の診察室周辺の待合室は人でごったがえしていて、タイミングによっては座る場所を確保するのも大変な状況だった。

そして地域の総合病院の宿命というか、、、他の診療科も人で溢れかえっており、感染るかもしれない病気を持った人々に混じって採血・採尿・会計待ちしたりするのは、不妊治療クリニックに慣れていた私にとって新感覚だった。

 やっぱり怖いな…。

夏真っ盛りにマスクや手洗いなどできる限りのことはしたが、病院の中ではどんな病気を持っている人がいるか分からないわけで…この点はかなり心配だった。

でも、代わりの病院は無い。

産休に入って都会の実家に里帰りするまで、どんなに気に入らないことがあってもこの病院に通うしかないのである。

覚悟を決めねば!

 

 1時間半以上待ってやっと診察の順番が回ってきた。大量出血後の初めての検診ということで、赤ちゃんの安否が凄く心配だった。胎動など、お腹の中で赤ちゃんが生きているサインを何も感じられないこの時期、検診の一回一回に試験結果発表のような感覚を覚えていた。幸い、今回も赤ちゃんは変わらず大丈夫だった!

何はともあれ安心した!

でも、赤ちゃんの体重は増えているのに私の体重がまた減っているとはどういうことぞ???

 

 大量出血で駆け込んだ前回とは違い、ある程度落ち着いて受けた検診を経て感じた、不妊治療クリニックと地元病院との大きな違いは、エコーの取り方やそのための診察台の快適さが全然違うということ!地元病院が…ということでは無く、専門クリニックの先生方のテクニックや設備は、やはり伊達では無かったということなのだろう。

 比較対象が無かったことからそれまで気付けなかったが、思わぬきっかけで、通っていた不妊治療クリニックの凄さに今更ながら気付き、改めて感謝の念を抱いた私だった。

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14.妊娠確認後-⑦大量出血で病院へ

 妊娠も12週に突入し、これまでの不妊治療専門クリニックを万感の思いと共に卒業し、地方の自宅に到着した私は、本当に突然の大量出血に見舞われた。

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 こんなことならもう一日実家に泊まってから帰ってくれば良かった!と、反射的に後悔したが、それももう後の祭り。この血の塊が赤ちゃんだったらどうしよう!大変だった不妊治療を経てやっと出来た子供なのに、ここでダメになってしまうなんて、

 

絶対に、絶対に、絶対に嫌だ!

 

私は便器に浮いている血の塊をすくいあげた。この時期の胎児の大きさなど知る由も無く、もしこれが胎児だったとして、どんな形をしているのか見当もつかなかったが、とにかく様子を見るしかない。そして、どうやらただの血の塊のように見えた。

とりあえず少し安心したが、大量出血したことに変わりは無い。これからどうするか…。仕事中の夫に電話したが、電話に気付いてくれない。会社に電話することも出来たが、それで解決するとは思えないので、夫への連絡はここで諦めた。

パニックで涙が出る寸前だったが、ここで泣いてしまったら絶対自分で考えることができなくなる!と、何とか涙をこらえて必死に考えた。そう、とにかく病院に行くしかない!

 

 その日の午前、転院の手続きについて話をしていた時、通っていたクリニックから転院先の地元の病院へ、紹介状とは別に、私の状況を簡単に説明した用紙がFAX送信され、そのコピーをもらっていたことを思い出した。そこで、地元の病院にも私の概要は伝わっているはず!と思い立ち、もう夕方になっていたが急いで地元病院に連絡し、診察のお願いをした。

診療時間外ということで、公表されている病院窓口から産婦人科へ電話を回してもらうのにとても時間がかかって泣きそうになったり、やっと産婦人科の人と話せたと思っても、『多少の出血であれば家で様子を見てほしい…。』と言われ凹みそうになったが、生理2日目のような大量出血であることや、血の塊が出たことを泣きそうになりながら話し、何とか診察してもらえることになった!

大量出血があったのはその時だけだったが、依然微量出血はあったし、何よりこんな状態で1週間後の検診を待つなんて、絶対に無理だと思った。幸い、少し前に始めたタクシー通勤で何度もタクシーを呼んでいたことから、自宅の場所の詳しい説明をせずに、タクシーに来てもらうことが出来た。とにかく、病院へ!

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 私の手はずっと震えていた。気は焦る。でも絶対に子宮に刺激を与えてはいけないと思ってゆっくりと歩くように心がけた。産婦人科は病院の端の方に有り、そろそろ歩きで行くだけで疲れてしまったが、何とか到着した窓口で事情を話し、電話で指示された前のクリニックからの紹介状を渡した。すると

『これ、紹介状じゃないですよ。』

と言われてしまった!

よく見ると、私がコピーをもらった事前FAXを持ってきてしまったようだ。。。

『すみません。書類を間違えました。ただ、大量出血の症状もあり、家に取りに帰るのは難しいです。また、家族も仕事中で連絡がつかず、持ってきてもらうのも凄く時間がかかります。何とか診察してもらえないでしょうか。』

紹介状を間違えてしまった私が悪いのは百も承知だが、ここはお願いするしか無い。窓口の方を大変困らせてしまったが、医師にも事情を話してもらい、何とか紹介状は後日提出で診察してもらえることになった。

 

 診療時間外ということもあり、診察待ちの人は2、3人しかおらず、私はすぐに診察室に呼ばれた。泣きそうになりながら状況を伝えた所、医師からは

『紹介状の情報が無い状態で詳しい診察は出来ない。とりあえずエコーで胎児の状況確認だけしましょう。』

と言われ、赤ちゃんの生死が分かるならとりあえず十分!ということで、診察台に上がった。

『心音が聞こえます。音も…問題無さそうです。胎児は元気なようですね。』

 

そう言われた時は安堵の涙が出た。

本当に、本当に、本当に良かった…。

 

赤ちゃんがとりあえず無事だと確認できたので、本日の診察は終了となった。大量出血の原因は結局分からず仕舞いで様子を見て見ようということになった。

原因が分からず何の対策もとれないというのも怖い話なのだが…。

 

 診察が終わり、気が抜け疲れがどっと出たのか、診察が終わってから会計までの待ち時間、私はいつも以上の悪阻吐き気に襲われた。そして、このタイミングでやっと連絡が取れた夫に、出血があったことや今病院にいることを伝えた。夫もかなりびっくりした様子だったが、その時は全てが終わっていた。

『疲れた…。2回病院に行った分、いつもの2倍以上疲れた。。。それにしても便器の血の塊をすくいあげるなんて私も凄いことをしたな、事件が起こったのが家のトイレで本当に良かった。ははっ!』

なんて考えながら、ぐったりと、帰りのタクシーの中で項垂れた。帰り道でやっと、色々思考する余裕が戻ってきたのだと思う。

 

赤ちゃんが無事で、本当に、本当に良かった・・・。